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手塚 眞てづか まこと、本名:真、1961年8月11日 -)は、ヴィジュアリストという肩書きで、映画監督など、映像全般に関わるクリエーター

株式会社手塚プロダクション取締役、有限会社ネオンテトラ代表取締役。

漫画家手塚治虫はプランニングプロデューサー・地球環境活動家の手塚るみ子は漫画家の岡野玲子。父である治虫からは「マコ」と呼ばれた。

来歴[]

1961年、漫画家手塚治虫の長男として生まれる。小学校から高等学校まで成蹊学園で過ごす。小学生時代、父の漫画よりも水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」のほうが好きで、父をがっかりさせる(のちの作品、『妖怪天国』は水木の影響)。またテレビも虫プロダクションが制作した「W3」よりも裏番組の「ウルトラQ」を好み、母親が「W3」を見るよう促した際に父・治虫が「子供の好きなものをみせてやりなさい」と「ウルトラQ」を観せた逸話がある(手塚の著書『観たり撮ったり映したり(キネマ旬報社刊)』による)。

成蹊高等学校在学時に制作した『FANTASTIC★PARTY』で一躍注目される。日本大学芸術学部映画学科に入学するも、後に中退。その後も数多くの映像作品を制作する。

1981年薬師丸ひろ子主演の映画ねらわれた学園』に出演(有川正彦役)。

1993年に個人事務所ネオンテトラを設立。

1999年に公開された『白痴』がヴェネチア国際映画祭に招待され、デジタル・アワードを受賞。『白痴』撮影時には、新潟市美咲町に巨大なオープンセットを建設、市民によって運営されるミニシアター「新潟・市民映画館シネ・ウインド」を始め、多くの有志がボランティアで撮影に参加する。現在もシネ・ウインドや市民に映画撮影のノウハウを講義する「にいがた映画塾」、「安吾の会」などの活動に大きく関わっている。

2007年よりニコニコ動画が主催する「国際ニコニコ映画祭」の審査委員長を務める(第1回~)。

現在、主にイベントやマルチメディアプロデュースをする他、執筆活動も手がけている。

監督作品[]

映画[]

  • FANTASTIC★PARTY(8ミリ映画)
  • MOMENT(1981年の8ミリ映画。初期の代表的な作品)
  • SPh (1983)
  • 星くず兄弟の伝説 (1985) 初の劇場作品。製作総指揮・原案・音楽:近田春夫
  • 妖怪天国 ゴースト・ヒーロー (1986) ゲスト出演:石上三登志水木しげる手塚治虫楳図かずお
  • NUMANiTE (1995)
  • 白痴 (1999)(唯一の15禁作品)
  • 実験映画 (1999)
  • ブラック・キス (2004)
  • ブラック・ジャック ふたりの黒い医者(2005)
  • 手塚眞のホラーシアター ザ・バースデイ (2006)
  • 893239(2006) 短編オムニバスのうちの一本、テヅカ眞名義

テレビ[]

  • お茶の子博士のホラーシアター(もんもんドラエティ
  • ブラック・ジャック (テレビアニメ) (2004-2006) アニメ
  • ブラック・ジャック21

インターネットムービー[]

  • ザ・ボックス

書籍[]

著書 []

  • 青いドラキュラ 赤いドラキュラ(1983年/北栄社)
  • 夢みるサイコ(1986年/新書館)
  • ヴィジュアリスト(1990年/新書館)
  • ブラックモーメント(1996年/幻冬舎)
  • ファントム・パーティ(1997年/幻冬舎)
  • ヴィジュアル時代の発想法(2000年/集英社)
  • 天才の息子 ベレー帽をとった手塚治虫(2003年/ソニーマガジンズ)
  • ぼはなん(1988年/新書館、ぼはなんプロダクショイ名義による共著)

監修[]

  • PLUTO(手塚眞監修、浦沢直樹の漫画作品)

その他の活動[]

PCソフト[]

  • TEO~もう一つの地球(総合監修)

イベント[]

  • ROBODEX2003(オフィシャルアドバイザー)
  • 坂口安吾映画祭(2006年 総合プロデュース&トークショー出演)
  • インターネットサービス「ニコニコ動画」における表彰イベント「国際ニコニコ映画祭」審査委員長(現任)

テレビ出演[]

  • サイエンスZERO(準レギュラー)

外部リンク[]


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